最近よく感じるのは、「疲れている人」が多いということです。
先日もあるセットメーカーの経営相談を受けました。その社長は3代目なのですが、会社の規模を企業として(つまり他人でも)やっていけるようにしたら大手企業に売却してしまいたい、大手企業に売却できるような会社にしたい、と言うのです。
その方は私と同世代で非常に優秀な方なのですが、なぜそんな発想になるのか私には理解ができません。「社長はお子さんいらっしゃらないのですか?家業としてご子息に継がせたらいいじゃないですか」と言うと、「いえ、とにかく私はこの会社を継続させたいのです。だから大手企業が買ってくれるような会社にしたいいのです」 私には、この社長さんは少し疲れているように見えました。
私の人生の短い経験の中で過去を振り返ったとき、他人任せにしてうまくいったことなど一度もありません。私は父が事業を倒産させてその後亡くなり、母子家庭で育ちました。母がよく「他人を信用するな」と言っていましたが残念ながらその通りで、全ては自分の責任においてものごとを成さなければならないのです。
また最近、私の顧問先(商社)がある加工メーカーを買収しました。その加工メーカーは従業員30人と小ぶりですがしっかりと利益は出しており借金も少なく、何ら問題の無い会社です。ハイレベルな独自技術ももたれています。しかしそこの社長は非常に頭が良い方らしく、ずっと先のことを考えたときに展望が開けないのだそうです。この加工メーカーは大手企業1社からの仕事が大半なのだそうで、年々コスト要求が厳しくなるのだそうです。このまま加工業を続けていくことに展望が持てない、なら自分が趣味としている和菓子屋をしよう、とそういうことだそうです。
ビジネス上は下請けとならざるを得ない加工メーカーであったとしても、マーケティングをきちんと行えば新規顧客を獲得することもできますし、将来への展望も開けるはずなのです。仕事が趣味になるのは良いのですが、趣味を仕事にして成功したためしというのは私は聞いたことがありません(自分が生きていくレベルの”生業”であれば何とかなるのでしょうけども・・・)。
このように疲れてしまうのは私も言葉を選ぶのに少し考えますが、自分自身の美学の有無や本当の意味でのハングリーさの有無だと思います。
例えば私はクールビズが嫌いです。なぜならネクタイはビジネスの象徴だからです。エアコンを28度にして本当に環境が守れるのであれば、ネクタイをして28度に設定すれば良いのです。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉がありますが、暑いからネクタイをとる、上着ももたない、半そでを着る、というのはあまりにも安易ではないかと思います。ルーズにしていて心身ともに楽になるかというと必ずしもそうではありません。私は多少の非合理性があったとしても、自分なりの美学を優先した方が良いと思います。ですから、心の底からクールビズに賛同しているのであれば、ノーネクタイでも良いかもしれません。しかしほとんどの人が「周りがそうしているから」「暑いからラッキー」程度のものではないでしょうか。
また、本当にハングリーな状態であれば、自分自身の今の仕事を辞めたいなどと思わないでしょう。あるいは辞めるにしてもより困難な仕事、難しい仕事に自分を向かわせるのならわかります。しかし40半ばでセミリタイアしたい、などという発想は私には理解できません。人間というのは難しいもので、仕事は必ずしも金銭的報酬(=外的欲求)のみでしているのではありません。自分で気付かなくとも内面的な欲求の充実が伴っています。十分な金銭を得て仕事をやめたところで、自分自身の内面的欲求は満たされません。リタイアしても結局、仕事を始めることになるのです。しかも前の仕事にかなり近い仕事をする人がほとんどなのです。
それ以上に、リーダーが疲れていたり、あるいは今の仕事に疑問を感じたりしていると、部下や社員はそれを敏感に察知します。私が知っている経営者の方でも「もうやめたい」とか「この業界はダメだ」とか言っている会社というのは例外なく儲かっていません。儲からないからそう感じるのではなく、そう考えているから儲からなくなるのだと思います。
リーダーは誰よりも自分の仕事、自分の業界を好きにならなければならないと思います。趣味を仕事にするというよりは、仕事を趣味にするように考えるべきだと思います。そして外的欲求(=金銭)をモチベーションにするのではなく、内的欲求をモチベーションにしていきたいものです。
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