事業承継で、さらに会社を大きく成長させるポイント
全ての企業において、「事業承継」は重要課題です。
特に事実上、オーナー一族の中で「事業承継」を考えざるを得ない中小企業にとって、それは死活問題になります。
あるべき「事業承継」の正しい姿は、代を重ねるにつれて会社組織の量・質ともに向上していくことです。
つまり先代の時よりも二代目の時の方が、あるいは二代目の時よりも三代目の時の方が会社の売上も利益も従業員も増えている、
そういう「事業承継」が正しい姿です。
この様に、“代を重ねるにつれて成長を遂げる事業承継”を実現するためには、それなりの「計画」を立てることが重要になります。
製造業での成功事例「ハードロック工業株式会社」
そうした点で中小企業の「事業承継」を考える上で大変参考になるのが、
“絶対に緩まないネジ”で有名な、東大阪市に本社のあるハードロック工業株式会社の事例です。
同社はUナットを発明し、また“絶対に緩まないネジ”ハードロックナットを発明した天才発明家である若林克彦氏が1974年に創業しました。
そしてそんな天才発明家である父の後を継ぎ、代表取締役に就任したのが同氏のご子息である若林雅彦氏です。
若林雅彦氏が勤めていた大手商社を辞め、父が経営するハードロック工業に入社した時、同社の従業員はわずか20名。
東大阪の町工場の1つにすぎませんでした。
また、今でこそハードロックナットは“絶対に緩まないネジ”と市場から絶対の信頼とブランドを得ていますが、
当時は本当に売れるのかどうか未知数の製品でした。
なぜならハードロックナットは、
・ダブルナットというナットを2つ利用した締結方式を採用しており、締め付け工数がかかる
・ナットを2つ利用しているのでコストがかかり、スペースも取る
・緩み止めナットは競合製品が非常に多い
といった“弱点”も多数抱えていたからです。
自身が前に勤めていた大手商社と、父親が経営する完全ワンマンの町工場との間のギャップに驚きながらも、若林雅彦氏はある決意をします。
それは「年商10億円を突破」する、ということです。
若林雅彦氏は、従業員わずか20名の町工場が「年商10億円を突破」するために解決しなければならない現状の問題点を洗い出します。
そして、その中で最も解決しなければならない問題点が、
①基盤となる様な大口の固定客がいない
②そもそも知名度が低い
以上の2つであると捉えました。
そこで、まず雅彦氏はターゲットを鉄道関係に絞り込むことを決意します。
なぜなら鉄道関係は何よりも安全性を重視する産業だからです。
この時、英国鉄道でネジの緩みが原因の脱線事故が起きるなどし、
絶対に緩まないネジの重要性が再認識されたタイミングも重なり、同社の採用が鉄道業界で広がります。
さらに二番目の問題は、同社の知名度の低さでした。
ナットは1つ、2つ売っても数十円にしかなりません。
従ってネジ問屋がそこそこの在庫を抱えてくれなければ効率の良い商売はできないのですが、
知名度の低い同社の商品をすすんで在庫してくれる問屋などありません。
そこで定期的に展示会に出展を行い、また積極的広告をうつなどして徐々に同社は知名度を高めていきます。
その結果、ユーザーからの指名買いが増えた結果、問屋も同社の商品を在庫する様になったのです。
年商15億円、年商20億円の壁をいかに突破したか?
そして同社は念願の年商10億円を突破します。
次に、雅彦氏は年商15億円の突破を計画します。
やはり前の時と同じ様に、年商10億円の同社が年商15億円を突破するためにはどんな問題をつぶさなければならないのか?
次に雅彦氏が設定した解決すべき問題は、「品質保証体制の確立」でした。
ISO9001を取得したものの急激に増える同社の出荷に品質管理が追い付かず、
その結果クレームが多発して営業担当者も日々クレーム処理係として忙殺されるという問題が発生していました。
そこで、雅彦氏はあえて最も厳しい航空宇宙の品質マネジメント規格であるJISQ9100の認証取得を決意します。
さらにその為に某大手重工メーカーのOBをコンサルタントとして雇い、導入を推進します。
「なんでこんな厳しいルールを守る必要があるのか」「これでは仕事にならない」
そんな反発も現場から出た時期もありましたが、粘り強く改革を進めていった結果、
現場もついに必要性を認めて協力してくれる様になり、同社の品質保証体制は飛躍的に向上しました。
こうした取組みの成果もあり、同社は年商15億円を突破しました。
年商15億円の次は、年商20億円を目指さなければなりません。
ここで雅彦氏は、年商20億円を突破するための次なる解決すべき問題を設定します。
その問題とは、「組織による新製品開発体制の確立」でした。
年商15億円を達成し、会社組織も町工場の域から脱却しつつあるものの、
新製品開発については創業者であるカリスマ経営者の若林克彦氏に依存していました。
そこで雅彦氏は、市場ニーズを形にする“マーケットイン”型の開発を組織で行う体制に切り替えていきます。
その為に人材会社を多用して、元メーカーの開発者等の中途採用も積極的に進めました。
同時に創業者である父親の若林克彦氏の哲学・理念・ミッション・ビジョンを明文化し、
それを基本に目標設定を行い人事評価にも反映させる「理念経営」に力をいれます。
つまり、創業者に依存しない組織体制をつくると同時に、守るべき創業者の哲学・理念を経営に反映させるという取組みを推進したのです。
その結果、ハードロックの新型他10種類以上の特許を取得するという成果にも結びつき、
こうした一連の取組みにより同社はついに年商20億円を突破します。
しかし、そうしたさなかにコロナ・ショックが起きます。
コロナ禍にスタートしたDXの取組み
コロナ禍により停滞した鉄道輸送の影響を受け、同社の鉄道業界向け売上は激減します。
同時にそれまで営業活動の柱だった展示会も開催中止が相次ぎ、同社も大きな影響を受けることになります。
過去に前例の無いコロナ禍という危機下で若林雅彦社長が決断したこと。
それがDXの導入による「デジタル新規開拓の推進」と「SFA・CRM導入による営業の見える化」です。
前述の通り、生産現場においてはJISQ9100の導入や現場改革があったものの、
さすがの同社も営業部門においてはまだまだ属人の割合が高いという課題がありました。
そこで、今回のコロナ禍を機にDXを進めて「見える化」を進め、
営業業務の再現性と改革の加速を実現する取組みをスタートしたのです。
なお、DX取組み後の成果については、以下の記事で詳細を説明しております。
いかがでしょうか。
年商10億円の壁、15億円の壁、20億円の壁、そして今回のコロナ禍による産業構造の大変化。
それぞれの壁を乗り越えるために適切な手を打ってきた同社の取組みは、
我々中小企業経営においても大いに参考となり、また取り入れられるものではないでしょうか。
こちらの動画では、本記事で取り上げたハードロック工業の代表・若林様との対談を行っております。
ぜひご視聴ください。
また、船井総合研究所ものづくり支援室では、中堅・中小製造業の経営者様向けにオンラインセミナーを開催しております。
是非、ご参加をご検討いただければと思います。